原人物語9

町が一つの目標に向かい、まつりで盛り上がった気運がイメージを高めていくと実感していた金造は、なんとしても生まれたばかりの町づくりの芽を摘み取るわけにはいかないと 「明石原人まつり」を継続していく方法を模索しました。

大久保商盛会が返上した「主催」は 「明石原人まつり実行委員会」で受け、取り急ぎ 組織を大久保全町に拡大して乗り切ろうと考えて、金造は大久保町連合自治会に協力を依頼しました。

7万人の住民をすべて包含する組織に協力してもらえるなら きっと町ぐるみに進化するだろうと思ったのです。

自治会正副会長会議に、商盛会会長と共に出席した金造は 一生懸命 まつりの意義を訴えました。

商盛会会長からも「商盛会から相応の資金の提供」の申し出も出て、連合自治会の協力は取り付けることができましたが、残念ながら連合自治会に実働スタッフを求めることはできず、金造は組織と人の課題を抱えたままでした。

明石市には 地域の住民が共同体意識を高めることを意図して作られたコミュニティセンターというシステムが 各小学校区、中学校区に存在し、略してコミセンと呼ばれています。

金造が次に的を絞ったのは このコミセンでした。

交渉を始めて間もなく、金造はコミセンサークルの連絡会で代表を務める椎原孝徳氏と出会います。

椎原氏は、コミセンの連合文化祭を仕切るベテランで、どの催しにも顔が利きました。

金造は、椎原氏の経営する店に日参して、祭りの内容や資金、人集めについて細かく話し合い、全町組織の実行委員会形式にして 明石原人まつりを継続していく道を探り当てたのです。