原人物語10

平成4年も5月21日から4日間で 明石原人まつりの人出は4万人に上りました。

メインデーとなる最終日はJR大久保駅から原人パレードが出発するのとほぼ同時に 西八木海岸と大久保農協から「ぶらり散歩」と題して 市民がゴールの石が谷公園を目指して歩き始めました。

石が谷公園ではカラオケをはじめとするステージイベントが目白押しとなり、出店ブースや火起し体験が人気を集め、おまつりらしい形が整ってきました。

お隣の播磨町からは大中遺跡の弥生人が9人訪れ 盛り上げに一役買ってくれたそうです。

「連合自治会の下で婦人会や老人会の皆さんが資金集めに力を貸して下さり、企業の協賛も増え、一軒一軒こまめに歩き寄付をお願いして 約100万円ほどを集めて乗り切った」と 金造は自らの半生記をつづった「明石原人に魅せられて」という著書の中に書いています。

この後、明石原人祭りは祭りの会場を 西八木海岸と石が谷公園に移し、日程も4日間から2日間へと短縮しましたが、第3回、第4回と順調に回を重ねて行きました。

石が谷公園には 明石乗馬協会が隣接しています。

おまつりに馬がいたら、きっと楽しいにちがいない と考えた椎原氏と金造は、第3回の原人祭りに ポニーの乗馬体験をと 明石乗馬協会に依頼しに行きます。

ちょうどその頃、もっと地域に貢献したいと考え始めていた明石乗馬協会は、金造たちのその依頼を機に 明石原人祭りに全面の協力をすることになりました。

広いスペースのとれる石が谷公園の会場には 当時 省エネ、エコの先駆けモデル企画となったフリーマーケット100件が出店し、ポニーの乗馬体験もある一風変わったお祭りがあると マスコミも興味を示し始め 近畿一円のラジオやテレビの取材も多くなってきたのもこのころです。

金造の思いは 苦労こそあれ順調に花を開いていきました。

さて、第5回はどんな企画にしようか と相談を重ねているさなかの1995年1月17日午前5時47分 誰もが驚いたあの大地震が起こったのです。