原人物語11

第6回から金造は 椎原氏に変わって実行委員長を務めることとなりました。

乗馬協会理事長だった三木則男氏が事務局長となり、体制は徐々に整っていきました。

新聞販売所を経営する山上昌之氏は、地域のミニコミ誌の発行元でもあります。

編集部があり、担当する記者兼編集者もおりました。

地域密着型のマスコミ、メディアという立ち位置なこともあり、地域おこしの明石原人祭りはやはり否が応でも注目せざるを得ないものです。

担当記者が取材に行くのも当然のことでした。

金造は、この時も熱く明石原人とまちづくりへの思いをとうとうと語ったのだと思います。

ちょっと困り顔で「どないしたらええやろねぇ~」と首をかしげる金造に、記者が思わず「それならこうしたら…」と自分のできることを言ってしまったことは その場面に直面した人なら責めることはできないでしょう。

こうして金造に巻き込まれてしまった自社発行紙の担当者を奪還しようと 山上氏は金造に談判に行くのですが、彼もまた金造の語り口に引き込まれ 自分でも気づかぬうちに 明石原人祭りに関わりを持ってしまうのです。

平成元年に、喫茶店を始めた私、西海恵子は、毎月 海外向け格安航空券情報が載っている雑誌を巌松堂から購入していました。

当時350円だった電話帳のように分厚いその雑誌を届けに来た金造は、決まって400円のコーヒーを飲んで帰りました。

3月頃のある日、『金ちゃん、玉子の安売りとかじゃなく 外国人の留学生とか集めて 自分の国のもの 売ってもろたらええんちゃう?みんな喜ぶし、円高やから留学生も助かるし…』。

無責任に原人まつりの企画を提案してしまったのです。

顔がぱっと明るくなった金造は「そうや!そらええなぁ!」と言って帰ったかと思うと 数日してまた喫茶店を訪れました。

「みんなに言うたら、そらええアイディアやって喜んでな…おっちゃんが説明してもええねんけど、ひょっとして惠子ちゃんがおもてんのとちごたらあかんから、いっぺん会議に来てもらわれへんやろか…」

もともと 自分でするつもりなどまるっきりなく、ただ思いつきを口にしただけなので、会議など面倒くさいと何度か断りましたが、数日するとまた金造が現れて、次の会議の日程を伝えて行くのです。

1か月ほど経って、また金造が会議に来いと誘いに来たので「夜8時半まで用事が入っているから」と断ると「会議は9時までやねん。30分だけでええから 来て」と言います。

言いわけができなくなって、仕方なしに市民センターで開かれるというその会議にしぶしぶ出席すると、ドアを開けた瞬間、当時 事務局長だった三木氏に「ただいま 国際交流担当の西海恵子さんが来られました」と紹介されました。

それだけでも話が違うと思うのに、席に着くと、「それでは 説明をお願いします」と…

こうして、私もまんまと金造の網にひっかかってしまったのです。