原人物語13

中学3年の時、海岸で拾った化石を直良信夫に送り「6~7万年前の石器です」という回答をもらって考古学に燃え、昭和60年に西八木海岸を再発掘した春成秀爾氏は 信夫の発見を裏付ける強力な証拠となる旧石器時代の木製品を発見することとなりました。

その際、学生ボランティアとして参加していた稲原昭嘉青年は やがて明石市に就職し、大好きな考古学を続けて行きます。

そして、平成9年 明石市教育委員会のプロジェクトとして実施された藤江川左岸の藤江川添遺跡の発掘調査に 明石市立文化博物館の学芸員の立場で参加した稲原氏は そこで赤みを帯びた乳白色のメノウの石器を発見するのです。

縄文時代の土器を含む地層より下にある砂礫層から出てきたのは 明らかに両面を加工したメノウのハンドアックス(手斧)でした。

信夫が、昭和6年のあの日、この物語のすべての始まりとなる褐色の腰骨の化石を発見したのと同じ砂礫層からの発見でした。

ハンドアックスは、その作り方や使用された石材、地層から6~13万年前 後期旧石器時代のものと判断されました。

長さ8cm、高さ3cm、重さ100gの美しい埋蔵物は 近畿・中国・四国地方で最古の年代の出土品とされ、ネアンデルタール人と同じ時代の旧人が存在した有力な証拠となるものでした。

この知らせは 世界中で大きく報じられ、各国の新聞の一面を大きく飾る出来事となりました。

ネアンデルタール級の原人が 明石から最も近いメノウの産地である出雲地方が持ち込んだ可能性が高いとされた説に、金造は、信夫の遺志、井内氏の遺志が報われた気持ちがして、非常にうれしくなったのでしょう。

新聞のコピーを何枚も作り、知り合いのところへ配ってあるいておりました。

さらに、いてもたってもいられなくなり、明石原人の会の仲間と共に稲原氏を乗せた車で 故郷の島根県宍道湖畔へメノウを拾いに行ったほどでした。