原人物語14

協力者も増え、話題にも上るようになって、徐々に地域に根差してきた明石原人祭りではありましたが、130万円ほどの運営資金の調達は毎年のおおごとに変わりはありませんでした。

商店主や地域住民などの個人からコツコツと寄付を募る村祭り方式だけでは無理があると 金造は行政に相談を持ちかけますが、『個の祭りすべてに援助はできない』と断られ、日新信用金庫やロータリークラブ、民間企業などに足しげく通い支援を仰ぐ日々が続きます。

大久保町に工場を置く大手飲料会社からは現品協賛をいただき、原人祭り当日にスタッフがブースで販売して 資金に充てるという形もありました。

「赤字変人」とも言われながら、それを笑い飛ばし、ギャグにする金造に、実行委員メンバーたちは励まされ 力づけられながら 毎年の企画を実行していきました。

インターネットの普及に加速がかかったこの頃、インターネットで「葛生原人祭り」を探し当てた山上昌之氏が「葛生原人」に連絡をとり、「明石原人」と「葛生原人」の交流が始まります。

葛生(くずう)は、栃木県安蘇郡に位置し、昭和25年 早稲田の人類学研究室にいた直良信夫が、洞窟で発見された化石を明石原人と同じ旧石器時代のものと判断し、「葛生原人」と名付けたことから 「葛生原人祭り」を開催していました。

いわば、兄弟まつりじゃないか!と盛り上がり、葛生町から「葛生原人」が5月の明石原人祭りに、「明石原人」は8月に行われる葛生原人祭りに参加し、お互いの良いところを学びあいました。

平成10年の3月21日、明石海峡大橋が完成し、車が通る前に…と橋を歩いて渡る「わたり初め」が開催されました。

金造の掛け声で、「原人」23人が集まり、原人衣装にゼッケンをつけて 明石海峡大橋を往復しました。

最初は、「えー、恥ずかしい…」とか言っていた「原人」たちも 歩き終わる頃にはもう慣れて、「原人」のまま喫茶店に入って休憩したものです。

今思えば、あれも、金造の作戦だったのかもしれません。