原人物語16

第8回明石原人祭りが行われたのは、1999年、平成11年のことでした。

相変わらず運営資金には四苦八苦しながら、実働メンバーも少数という事態ながら、なんとか明石原人祭りを盛り上げたいと、新体制の実行委員会は 西八木海岸の海のまつり、石が谷公園の山のまつりに加え、駅南の神戸製鋼跡地にできたマイカル明石ショッピングセンターを中心とするマンション群 オーズタウンを突き抜ける大通りを「街のまつり」会場として加える企画を打ち出しました。

駅から南北に伸びるゆりのき通りは 北からマイカル明石1番館、2番館、3番館を区切りとして 3ブロックに分けられています。

もっとも北の駅ロータリーを含むブロックなら 交通への影響を最小限に抑えられるので、その部分を全面通行止めの歩行者天国にしようというのです。

マイカル明石自体が 平成9年10月のオープンだったので、当然と言えば当然ですが、それまで一度もやったことのない試みでした。

実行委員会は、警察にも相談し、行政にもマイカルにもJRにも相談して この大きなプロジェクトを動かそうとしましたが、前例のないこの申し出に事態は進まず、刻々と時間が過ぎて、さすがの実行委員会も「やっぱりだめか」と諦めの空気が漂い始めたある日、突然に扉が開いたのです。

ここまで書きながら大変申し訳ないのですが、この場面については何がどう動いたから事態が急変したのかを詳細にご説明することは避けさせてください。

しかしながら、『救世主』がいたこと、そして大きな権威は「初めてのことを嫌がる」ものだということだけ述べておきます。

とにかく、実行委員会は大喜びでした。

勢いは、人を呼び込むものなのでしょうか…この時期には、新しい企画を持って現れた若い仲間に、また仲間が加わり、新しいセクションも生まれました。

原人バンドやインターネットラジオ放送のFMオクトパは、若い仲間が一人では「夢」だった「想像」を、組織の力とそれぞれ個人の得意分野を合わせることで実現した産物でした。

市外のFM局に声をかけて、街のまつり会場から現場中継…そんなことも実現しました。

西八木海岸海のまつり会場から 火起しでつけた原始の火のたいまつを持って原人が走り、駅ロータリーに設置されたステージの両脇におかれたかがり火に点火して 街のまつりから海のまつり会場へと開催のバトンを渡す…そんなことも実現しました。

ゆりのき通りの歩行者天国に フリーマーケットを並べ、場内のあちこちでミュージシャンが演奏する…そんなことも実現しました。

この企画の成功は、実働メンバーの平均年齢を一気に下げる効果がありました。

そして、三木実行委員長が次に持ち込んだ「ミレニアムイベント」へと駒は進んでいきます。