1980年、私は兵庫県にある神戸学院大学に入学しました。そして、ここからその先の私の人生に大きな影響を与える音楽と出会ったのです。私は、仲間たちと共に、それまでこの新設校にはなかった「アメリカ民謡研究会」というサークルを創設しました。後に、アメリカへと渡り、40年以上もアメリカで暮らすことなど、その時には想像もできなかったことですが、私のアメリカでの経験によるアメリカ民謡研究を以下のレポートとしてまとめてみました。

ブルーグラスミュージックの誕生

 ブルーグラスと言えば、最初に名前が出てくるのは、ビル・モンローです。彼は、ブルーグラスの父とも呼ばれています。ブルーグラスミュージックは、俗に言う Old time musicという音楽から、4人の編成のjazzカルテットをもとに、あの当時アメリカでブームになっていたスウィングバンドに影響を受けて、モダンなカントリーのバンドを作ってみたいという彼の発想から始まりました。それは、ビル・モンローが、少なからずスイングに興味があったことを表しています。その後、アール・スクラッグスが、5弦バンジョーでその発想を一段と興味深いものに作り上げていきます。その結果、昔のOld time musicでもなく、スウィングバンドでもない、ブルーグラス独特のカントリーリズムが生まれました。これがブルーグラスドライブと呼ばれるブルーグラスならではのローリングするリズムです。言い変えれば、2ビートでありながら、少しだけスイングの要素が入ったリズム…そう、四角いものが少し丸くなったような、少しボールが跳ねて、転がっていくようなイメージです。ここにカントリーだけれども、ブルーグラス独特のドライブ、ローリングするリズムが生まれたのです。

 さてそれから、サム・ブッシュによって、カントリーとロックを混ぜ合わせた、もっと厳密に言うとブルーグラスとロックを混ぜ合わせたニューグラスという新しい発想で、ロックの感覚をブルーグラスに取り入れた「New grass revival」というバンドが登場してきます。しかしながら、ここにもスウィングの影はあります。というのは、ブルーグラスミュージック自体にスウィングの要素がすでに存在していたからです。サム・ブッシュは、本人も気付かないうちに、ロックの感覚に少しだけスウィングを入れてしまったのです。ここでいうスイングとは昔のロック独特の四角ばったリズムではなく、少し丸みを帯びたものでした。
 ブルーグラスミュージックは、ここから本格的にスウィングそのものを受け入れていきます。そして、デビット・グリスマンのDawg musicが生まれてきます。これはブルーグラスに、ジプシーの要素であったジプシースウィングを混ぜ合わせたものです。これに大きく影響を与えたのはジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリの音楽です。彼らによってジプシースイングとブルーグラスが混ぜ合されたブルーグラス独特のスイングが生みだされました。この音楽は、すでにブルーグラスというよりもスウィングと呼んだ方がいいほどにジャズの分野に入っていきます。

 

ジャズ

 ここから私たちは、ブルーグラスだけではなくジャズという音楽をも知らなくては、アメリカ民謡の根源には到達できません。
ジャズはあの当時、CooljazzとHotjazzの時代にありました。 一つは白人、もう一つは黒人のもので、その違いはリズムにあります。白人のものであるHot Jazzは、とてもエキサイトした熱い感じを表に出した、文字通り「熱い jazz」です。
リズムが見える人でないと分からないかもしれませんが、Hot jazz では、完全なリズムよりも少し先にリズムの感覚を刻んでいきます。ちょうどカントリーの、フィドルのダンスミュージックのように、正確なリズムよりもいつも先にリズムが走ります。これは、白人独特のリズムの取り方です。このリズムはいつもひとつの楽器が中心となり、バンド全体を導くという感じのものです。聞いている人々にとってはとてもエキサイティングな演奏方法です。
それに比べると、マイルス・ディビスに代表される、黒人が主体となったCool jazzでは、いつもリズムが少し遅れがちに来るのです。それは、もう少しで乗り遅れるという感じのリズムです。そして、あまりに乗り遅れると、空白の時間をおいて次の場所から出てくるような感じになり、必然的にシンコペーションが生まれます。音数は、むしろ少なく、全体におとなしく、落ち着いた感じになります。そしてさらに空白の時間を置いていくと、今までのジャズという観念が少し変わっていき、Coolすなわち、かっこいいと感じられるようになり、jazz界では、Hot jazzよりも、このCool jazzが主流になっていきます。

カントリーとジャズとの違い

 このことは多くの人が知らないと思いますが、あの当時、Cool jazzをやっていた黒人の中には、白人主流のHot jazzをジャズコードやスイングとともに演奏していながら、あれはカントリーだ!とする意見が多く聞かれました。すなわち、彼らがカントリーだとした音楽は、jazzの根源である、プレーヤーが一体となる、会話をする、一つのユニティーを持つというものではなく、ひとりの偉大なプレーヤーがバンド全体をリードするという形のもので、黒人たちが求め、作り上げてきた jazzから離れ、人に見せるためのショーであると言いたかったのです。現実に私はその世界にいたので、はっきりと言うことができます。私の個人的な意見になりますが、かつて黒人たちの求めていたjazzは、会話を求めるもの、そして一つの一体性を求めるものであったように思えます。「かつて」といったのは、今の黒人たちに そのジャズの本質はあまり表れていないようで、どちらかと言えば ショーマンやエンターテイナーとなり、お金をもうけることが第一になっているように見えるからです。やはりHot jazzの根源は白人的発想で、エンターテイナー、または自分の優れた音楽性または、テクニックを見せるためのものであり、一つのショー的感覚が土台にあったと思われます。しかしながら、昔の黒人たちにとってジャズは、黒人の独特なリズムをつかったコミュニケーション、会話を最重視するものであったようです。

スイング 

 スイングは、どこから来たかというよりも、どこで生まれたのか!を探る方が正しいと思います。アメリカの国家自体が黒人を奴隷として使い始めた時代…話はアフリカのナイジェリアから始まります。当時、アメリカは、日本にも興味を寄せていましたが、同時にアフリカにも興味を持っていました。その理由はもちろん、労働力を安く使い、アメリカをより偉大な国とするためです。つまり、これは国家の方針だったのです。そして、彼らはいとも簡単に、アフリカの、特にナイジェリアから多くの黒人たちを(アフリカ人たちをというべきですが)、アメリカのニューオーリンズに連れてきて奴隷として使い始めました。この出来事が、スウィングというリズムの生まれる不思議な状況を作り上げていったのです。ニューオーリンズで奴隷として使われ始めた彼らを支配するために、アメリカの白人たちが隠された武器として使ったのが、実はバイブルすなわち聖書でした。黒人たちが、すでにアフリカで聖書に通じ、神を信じていたことに目をつけて、白人たちは、聖書を利用して彼らをおとなしくさせようとしたのです。多くの黒人たちには、当然のように多くの嘆きや不満があったので、皮肉なことに聖書の言葉が彼らにとって大変な救いとなったのです。彼らは、この世でいかなことがあっても、天の国、神の国があり、死は死だけで終わるものではないと固く信じることで、辛さを乗り越えようとしました。そのような状況下にあって、彼らの葬式の時の音楽は、必然的に悲しい音楽にはならず、天の国、神の国を信じた者にはパラダイスが待っているという信仰から、リズムがはね、転がり、そして回り、そこに不思議な形でスイングが生まれました。そうした有名な曲の中に「When the saints go marching in」(聖者が街にやってくる)があります。ルイス・アームストロングの歌とトランペットをだれでも一度は聞いたことがあると思います。そうして、ニューオーリンズジャズと呼ばれる黒人独特の音楽が生まれたのです。

ニューオーリンズジャズとディキシーランドジャズの違い

 同じように、ニューオーリンズジャズは黒人主流のもの、ディキシーランドジャズは白人主流のものに分けられます。深く、悲しい歴史ですが、そのような黒人のニューオーリンズジャズに心打たれてその音楽を演奏していても、白人たちの奏でる音は、多くの黒人の人たちに「それは、ニューオーリンズジャズではなく、ディキシーランドジャズだ」と分けられてしまったのです。現実的に、ここにも同じような不思議な現象が起きてしまいました。ニューオーリンズジャズでは、リズム自体が少し遅れがちです。ところが、ディキシーランドジャズになると、リズムは少し先走ります。そして、ディキシーランドジャズはとてもショー的な要素が多くありますが、ニューオーリンズジャズは相対的に深い重みを感じます。これはたしかに、リズムだけによるものですが、ここに違いがあることは否定できません。

フリージャズと即興音楽 

 即興音楽とは、お互いのプレーヤーの間ですべての束縛を取り去り、自由でありながら、会話をする、ユニティーを持つ、という発想から始まったコミュニケーションを求める音楽です。一方、フリージャズとは、それらの過程を通して一つの形、または曲、歌、などの音楽的な形にはめていこうという、プレーヤーだけではなく、聞く人を楽しませるショー的な要素を持った形で作られたものです。つまり、「フリージャズ」というジャンルは、少しながらもエンターテイナー的な意図が含まれた、ビジネスのための名前なのです。即興音楽では、プレーヤー同士のコミュニケーション、会話などが目的の主流となっているので、そこには何かを探究している姿勢があります。フリージャズはともかく、どんな形であれ、即興音楽の経験のある人には理解されると思いますが、即興音楽が全くのフリーであることはあり得ません。利己主義ではできない音楽なのです。自由を探究しているのですが、そこにはいつでも守らなくてはならないルールがあり、約束があります。それらのない即興音楽は音楽ではなく、「戦い」や「争い」の結果を生んでしまうのです。ですから、この音楽を探求するにあたっては、音楽の本質である「ルール」を必然的に悟らなくてはならなくなってきます。その「ルール」とは、一言で言えば、「音楽を知る」ということです。音楽を知らない人が、知ったかぶりをして、自由に演奏しようとすると、そこには目に見えない不思議な壁が現れてきます。
多くの人がこの種類の音楽を学んだことがありません。そして、経験したこともありません。学校では教えられないのです。「音楽を知る」の「音楽」とは、本当のリズムであり、本当のハーモニーであり、本当の音楽を指します。リズムが見え、お互いに協調し、尊敬し合うという、ハーモニーが必要なのです。それは、現実に手にすると、実は真実の音楽とは全く違う場所にあったことに気づきます。「違う場所」とは「今まで教えられたことのないところ」という意味です。 おそらく、馴染みにくい、どうしていいかわからない、などの問題が出てくるでしょうが、実際にそれに慣れてくると、それがそんなに大きな問題ではないということが、経験を通してわかってきます。つまり、この音楽は、頭で解決できるものではなく、実体験なくしてはわからないものなのです。同時に、自分自身を再発見するということも知らなくてはいけません。「自分自身を再発見する」とは、形にはまったものから脱却するという意味でもあります。つまり、ここに「自由になる」という表現が少しながらも当てはまってくるのです。

現実的な音楽

ここまで、私たちは「Old time music」から「Bluegrass」,そして「New grass」を経て「Dawg music」から「Jazz」に入って行きました。その過程に再び戻ります。「 New grass revival」がロックとブルーグラスを混ぜ合わせたと語りました。実はロックという音楽はもともと8ビートで、典型的な四角い形をしたリズムです。ですから、現実的にはスイングととても交わりにくい形の音楽なのです。マイルス・ディビスは、ロックとは全くかけ離れた存在であった jazz、現実的にCool jazzと呼ばれたjazzにスウィングを混ぜ合わせました。彼は規定のスイングにとどまらず、スイングの存在そのものに引き寄せられていたようです。あの当時、マイルス・ディビスが興味を持っていた人物がいました。ピアニストであるキース・ジャレットです。キースは、子供のころからクラシックのピアノを学び、ある日 jazzに興味を覚えて jazzを学び、即興音楽に興味を覚えてフリージャズを学び、俗に言うソロピアノを通してフォークソング的な音楽にスイングを用いました。音をスイングさせ、ローリングさせたのです。彼は、バッハの曲の中にスイングがあることも発見した人物です。そんなピアニストにマイルス・ディビスが目をつけたのです。そしてピアニスト、キースはマイルス・ディビスのバンドで不思議な経験を経て、白人でありながら本質的な黒人のリズムを学んでいきます。これが バックビートと呼ばれるものです。ビーバップ(Bebop)とい音楽をご存じだと思いますが、黒人のチャーリー・パーカーによって有名になった一つのスイングの形です。「ビーバップ」という言葉を連続して口ずさむと、ビーバップ、ビーバップ、ビーバップとなり、そのリズムの焦点を頭の中で後ろに移すとバップビー、バップビー、バップビーとなります。しかし、サウンド自体はやはりビーバップに聞こえます。頭の中で、ビーバップのリズムのトップを変えるだけで、そのビートはいつでも普通とは逆のものに変えられます。これが バックビートです。ともあれ、マイルス・ディビスはこの時点でCool jazzでありながら、ロックのフィーリングを持った不思議な形の ジャズロックを生み出しました。これがFankです。これは一見簡単なようですが、あの当時のジャズミュージシャンに、4ビートのjazzこそが jazzであり、ほかのものはジャズではないという、ブルーグラスの頭の固い人と同じような考えを持っていた人が多くいたことを思うと、マイルス・ディビスがいかに古い考えにとらわれず、スイング自体に興味をもっていたかがわかります。そして、それから彼は、Joe・ Zawinulに大きな影響を与え、「Weather report」というバンドを作り上げる大きな要素となりました。「Weather report」は、マイルス・ディビスのアイデアをさらに大きく近代化した、当時は画期的なバンドでした。すなわちジャズそのものが大きくジャズの枠を超えて現代の音楽に様々な形で影響を与えるようになってきたのです。

スイングの様々な形

フォークソング、カントリー、ロック、ここにキース・ジャレットのもたらした偉大な業績があります。彼は白人でありながら、初めて黒人の本質的なリズムを白人的なものと混ぜ合わせ、リズムがいかに人を縛りつけないかという驚くべきリズムのミステリーに到達した人です。彼のリズムは先走りもなく、遅すぎることもありません。リズム自体に縛られないからです。彼に対しては、現在においてもまだ正しい評価がなされているとは思えません。私は、現実的に彼は、20世紀最大の音楽家であると思っています。彼のリズムを聞くことのできる人が多くはいないのも事実ですが、現実にそのリズムの内側を見ることができると、実はとても簡単なことをしているのです。音楽とは簡単なリズムから遠く離れて、リズムに縛られないリズムという音楽のミステリーにまで入って行くことができるのですが、リズム自体は簡単なものであり、音楽自体も実は簡単なものなのです。英語で言うならば「シンプル」です。キースたちの音楽は、フリージャズや即興音楽から生まれたOutsideで演奏するjazzと、本来の音楽の本質を持った完全なコミュニケーションができるレベルにまで到達しているのです。

音楽の本質

さて、それを現実に、私たちのような普通の人間が経験できるかと言えば、彼らのような高いレベルではできないでしょうが、低いレベルでも可能であると思います。なぜならば、それが音楽の本質だからです。アメリカからのレポートなので、わからないことが多くあるかもしれませんが、現実に、低いレベルから経験すると、面白いほどに音楽は楽しいのです。俗に言う一般の人たちと交わるべき普通の音楽に戻ると、音楽がかみ合うという意味が本当にわかってきます。リズムであり、ハーモニーであり、メロディーであり、すべては精神的に一体性を持った交わりでなくてはなりません。つまり、それこそが音楽の最終的な目的なのです。

リズムはメロディにあり、そこにはハーモニーもあり、リズムの形が生まれます。どのような形(種類)のリズムを選んでも自由ですが、実はそれは、1つのリズムなのです。形のあるリズムではなく、空中にある、そこに存在するリズム、ことばを変えれば、グルーブ、又はグルービィ、ノリです。ここには絶対的に、スウィングが不可欠です。そして、そのグルーブとは心臓の鼓動、Heart beatです。それはいつも2ビートです。その通り、もとは簡単なリズムなのです。ここに真実の音楽が生まれます。リズムの形に合わせるのではなく、その奥にあるハートビート、心臓の鼓動。キース・ジャレットの音楽の中には、いつもこれがあります。実はクラシックにも、良い音楽には、いつもこのハートビートがあり、それをクラシックの偉大な音楽家は偉そうな顔をしてできるだけ難しく教えるのです。しかし、その答えはスウィングの中にあります。その昔、デューク・エリントンが、「スウィングがなければ意味がない」と言う曲を作りました。全くその通りです。そしてスウィングは、今、スウィングという形にはまったものから抜け出て、フォークソングの中に、カントリーの中に、ロックの中に、あらゆる音楽の中に出てくるようになりました。ここに、もう一度言います。 キース・ジャレットの音楽界への貢献がすばらしいものであることは否定できない事実です。                            

アメリカ民謡の根源とは、このリズムにありました。世界中で、ここアメリカでだけ発見された音楽、すべての民族の集まった所に生まれた音楽を、私たちは神戸学院大学で、アメリカ民謡研究会(アメ研)として最初にこれを探求し始めた同志たちです。

このアメ研を創立したメンバーに、この研究発表を捧げます。

To be continued

5月24日  2017年 アメリカにて Tora Furukawa